#09.家相について
~科学や技術が全てではない~
今回は一転して家相についてお話してみたい。
Dr.コパなる人の活躍(?)で一気に若い人までもが家相に興味を持つ現象は、もはや定着したかのようだ。
今までの、ややもすると現実離れした占的なものより、一応建築家と自称しているだけあって、多少現実味のある内容とインテリアや小物と言った誰でもが手を加えられる部分に、ラッキーカラーなど女性雑誌に必ずついている占的な要素を当てこんで焦点を当てたことが、脚光を浴びた大きな要因と思える。
加えて、「#07.常識とは?土地の価値基準が変わる(1)」でも書いた様に、家に関しての興味の高まりも背景にはあると思う。時代的にも科学、理論、数値、デジタル一辺倒の流れに対して、生身の人間がついていけない、といったものもあるのだろう。
建築は科学でも技術でもあるが、同時にアートな部分、およそデジタルとはかけ離れた、ヒューマンでファジー、非論理的で非科学的部分を融合した特殊なものである。だから、家相も頭から完全否定はしないし、Dr.コパのような人やファッションデザイナーのロメオジリみたいな人が出てきても、不思議ではない。とても巾が広いのだ。
最先端の科学者たちが言い出しているように結局行き着くところ、21世紀の科学は精神、霊など、20世紀までは大半の科学者が最もばかにしてきた分野が注目を浴びると予想されている。もしかして、若い女性たちは敏感な感度で先取りしてるのかもしれない。
さて、その家相についてだが、流派により違いがあったり一言では言えない。
傾向としては、ここに来ての家相はやや現実派が強くなっており、占術的な見方は否定的になっている。
家相を建物全体のバランスにおいての太陽、風、水、土を見た、一種の環境学と捉える見方がより強くなってきている。基本は気持ち良く暮らせるかが、本来のポイントだ。日当たり、風通し、湿気に対しての知恵や言い伝えが今の家相の原点である。
この見方は、設計者としてもある程度納得、理解できるものだ。
古来中国が発祥と言われ、方位的にも日本に当てはまりやすいため、日本においても、改善(?)を繰り返し定着したものだ。
おおもとは、中国において東北方面つまり満州方向の卑属、南西のベトナム方向の南蛮族など、人的、疫病など要注意の方位が発端になり、その応用から、住居造りの知恵として、発展してきた経緯がある。その後、占術的な方向に走るもの、衛生学をより強くするもの、さまざまな流派と言われるものに分かれてきた。
従来、共通して家相で一番気にするのは、歴史的な背景から、トイレ、台所と言われている。鬼門(東北、南西)に水廻りを置くな!との定説だ。汲み取りであったり、冷蔵庫もなかった時代の衛生的な知恵である。
水洗となった現在においては、改革派と保守派で見解も分かれる。最近では、現代にそぐわない面も出て来ているせいか、香港でメジャーな龍脈、土地のパワーみたいなもの絡みの関心が強くなってきている。
これも、人の流れ、水害、空気の流れなどある程度、土地の持つ特性、エネルギー的な見解でうなずけるものだが、もっと地図的な視野での話しで、一戸建て住宅に当てはめるのはどうかと個人的には思う。
玄関について、一つの例を見てみよう。
占的なニュアンスも強いと思われる玄関位置の定説(一部の流派)によると南西に張り出した玄関は、女系の相といわれる部分に少し引っかかり、後家の相とか、かかあ天下、主婦が病弱とか女性にまつわる、良くないことが言われているようだ。
なお、「張り」といって平面的に出っ張らせるのは、一層良くないとのことである。そこには、道路や周辺環境の事はうたってはいない。しかも一方では、草原や田園風景の絵を飾ることで、凶相を打ち消す、と言っている人もいる。占的な見解には必ずと言ってよいほど、いかがわしくも思える救いの手があるのだ。
設計者としては、原点である気持ち良く暮らせることが目的地だ。
家相を気にされる施主であれば家相も注意しながらも決してとらわれず、周辺環境を良くよみ、建物全体と敷地全体を睨んだ設計をする事が求められていると思う。
家相本来の持つ意味を否定するつもりはないが、占的になると信じるも信じないも、完全に個人の問題になってしまう。一応は理論で説明しても、信じる気持ちの方が強ければその人にとっては、アンバランスでも不経済でもそれが気持ち良いのだ。
凡人の私などの様な設計者には分からない、何かがあるのかもしれない。だからその場合は、その条件をベースに最善を追求していく。建築設計者とはそんなものかな、と思うが、いかがだろうか?
代表取締役 伊藤 正